インフラの世界に浸って、

NECがPC9801が出てそれを某金融機関の若手ITスタッフとして全店展開からはじまり、LANや商用インターネットの原点からどっぷりとインフラに浸かって30年。その間1993年~2004年初頭までNYでPC、VAX、UNIXそしてLANやWANをローカルスタッフの親方として従事。そして今、現役としてモバイルやデータセキュリティのプロダクトセールスをする異端児オヤジのインフラ話

50歳オーバーのボーダーって

50歳オーバーのボーダーってと言ってもボーダーラインのお話でなく、スノーボードなお話です。
自分は、16歳でスケートボードを始めた。まさにパーク全盛期を迎えるちょい前くらいの時です。サーフィンもしたかったけど、海まで電車で小一時間掛かるので車の免許を取るまでの辛抱でスケボーをチョイスした。
ある意味、日本でもサーフィンやスケボーをやるのにベストな世代だったといえる気がする。とはいえ、スケボーが当時3万円と高価な遊びの一つだった。サーフボードがオーダーで作って10万円とこれまた高価な遊びだった。だから、遊びじゃ出来ないものとだったと思う。ある種のライフスタイルです。とはいえ、高度成長期の大人からするとヤンキーとは違うが不良のカテゴリーだったと思う。
でも、やっている本人は楽しい。あと壁を30センチ上へとか考えひたすら滑っていた。サーフィンも同じでまずは波に乗る。そして板の上に立つ、次にターンして横に滑る。普通に乗れるようになるともっと大きな波に乗りたいと練習しつつ天気図と睨めっこする生活をしていた。もちろん、学校は行っていたし、成績も赤点を取らないように心掛けた。
そしてサーフィンに夢中になりながら社会人になり、貴重な休みの日曜日はデートもせずに海に行っていた。朝から晩まで海!海!海!の生活で彼女なんて出来ませんよね。巷じゃ、サーファーはモテると言われていたがそんなことはありません。
そんなこんなの生活をしつつ、社会人には海に行けない平日が6日間もあり、結婚して子供が出来ていた。
30歳になること、もう一つ新しいスポーツが日本に上陸した。それがスノーボードです。思わず飛びついた。最初はボードの出来るスキー場はほんの一部でなかなか肩身がせまかった。しかも空前のスキーブームともぶつかっていたので大変だった。


こんな感じで自分のライフスタイルは横ノリが一つのベースとなっている。そして今、その中でのメインはスノーボードである。
冬のために春から秋は、スケボーしているオヤジが埼玉の北部に一人居ます(;^ω^)。
こうやって考えると、50代のボーダーって意外にいいタイミングでまさに触れて来たりできた世代だと思う。みんながみんな同じではないけど、日本初上陸で直ぐに手を出すには一番脂がのっていたと思う。
当時出来なかったとして、同世代には遊びとしてそしてスポーツとしてボードを知る仲間というか同じ世代と出会うチャンスがあると思う。
自分は、雪の上でサーフィンとか、雪の上でスケボーをイメージしながら大人ライドしている。若い子のような派手さはないけど、大人な気持ち良さは感じてるつもり。


こんな話で興味を持った人は思い切って雪の上へ出ましょう!!
きっと素敵な世界がそこにあると思います。