インフラの世界に浸って、

NECがPC9801が出てそれを某金融機関の若手ITスタッフとして全店展開からはじまり、LANや商用インターネットの原点からどっぷりとインフラに浸かって30年。その間1993年~2004年初頭までNYでPC、VAX、UNIXそしてLANやWANをローカルスタッフの親方として従事。そして今、現役としてモバイルやデータセキュリティのプロダクトセールスをする異端児オヤジのインフラ話

企業内LANの始まり

金融機関でLANを使い始めたのは、自分の経験から思い起こすと1980年後半からだと思われる。
その当時のLANは、大きくは二つに分類される。一つがIBMが推奨したトークンリング方式でもう一つは、Ethernet方式です。現在では、トークン方式はほぼ消え去ったと思われます。トークンを推奨して拡張版の16MbpsのトークンリングまでリリースしたIBMは、今ではEnternetでCISCOを使ってる。
IBMがトークンリングとした結果、当然ですが日立や富士通もトークンリングでした。その理由はもちろんアレですからね。
トークンリングは、メインフレーム系のワークステーションやミニコンで使われていました。
Enternetは、PC系で利用していましたが当時は、OSがMS-DOSでメモリー空間が640KBでここにLANのドライバーを常駐させるとかなりアプリに影響を与えていた。結果は、Lotua1-2-3のマクロが動かないなど色々な問題にぶつかっていました。そんなこともあり、金融でもPCでLANを使ってなんて話になるのにはかなりの時間が掛かりました。
自分の勤めていた会社でも、1990代後半に”BPR”というキーワードで一斉導入したことが、今のオフィス環境の始まりだと思います。
ただ、これは日本の話であって、自分がNYに赴任した1993年には、米州では一人一台のPCは当たり前で、既にPCサーバだけでなく、VAX(旧DEC社のコンピュータ)にソフトを入れてPCサーバとして利用してました。そして、DEC社のワークステーションを使って市場系のシステムもリリースされてました。
同じ時期の日本の市場系システムは、メインフレームかオフコンが主力でした。もちろんメインフレーム系でのLANはほんの一部だけです。なぜってトークンリングだからです。しかも、I社とH社のトークンリングは相乗りが出来ない。
当時、なぜPC-LANが必要だったのかというと、一人に一台のPCを配ったとしても、メールなどのグループウェアがあるわけでないので、結果は、プリンターで印刷をすることになります。がしかし、事務机にPCの本体とブラウン管ディスプレイにキーボードを置くだけで机はいっぱい。プリンターなんて乗るスぺースはありません。更に当時は、B4用紙が主流となるとどうしょうもないんです。
Windowsでなく、DOSなので同時に複数のプログラムを動かすことも出来ない。
金融では、まだまだそろばんを使う時代です。それにプラス電卓が基本。稟議書は、基本はボールペン書です。机の上には、漢和辞書、英和辞書、和英辞書が並ぶのが当たり前っていう世の中だったんです。(たったの今から30年前です)
話が若干横道にそれましたが、なぜにその時代にPCが必要でLANが必要だったかというと、表計算ソフトウェアによる効率化です。簡単なグラフまで作れます。
表計算ソフトウェアで作れないものは、数字に強い方々がプログラミングする。
そして、スペースの観点からプリンターの共用が必要不可欠だったんです。
アナログな切り替えスイッチもありますが、最大でも3台で共有するのが限界です。
LANなら、それ以上のPCから共用できます。更にサーバのハードディスクにデータ保管も可能です。


といことで、大手町の一等地にOA機器が並ぶオフィスは高価すぎるということでLANを導入する企画書を作ったのです。
ちなみにですが、LANがないとおそらく、課長クラスの机で統一する必要が出てきます。
課長と同じサイズの机でオフィスを埋め尽すことを想像して下さい。


ディーリングルームに始まり、その後十年の間に全支店までLANとWANが導入されました。最初は、10BASE5という同軸ケーブルから始まり、その後10BASE Tという今、皆さんが家庭でも使っているものに変わっていたのです。


自分が勤めた会社は、金融ではPC-LANの導入は一番手で二番手はその後数年後に導入が始まりました。そしてその後も新しい事は、うちから始まるという流れでインフラを担当して来ました。