インフラの世界に浸って、

NECがPC9801が出てそれを某金融機関の若手ITスタッフとして全店展開からはじまり、LANや商用インターネットの原点からどっぷりとインフラに浸かって30年。その間1993年~2004年初頭までNYでPC、VAX、UNIXそしてLANやWANをローカルスタッフの親方として従事。そして今、現役としてモバイルやデータセキュリティのプロダクトセールスをする異端児オヤジのインフラ話

インターネット接続

今や携帯のテザリングを含めると様々な形態でインターネットに端末を接続して利用することが可能になっている。携帯会社のアンテナさえあればOK!っという時代である。
そして、インターネット上には情報コンテンツだけで様々なサービスが提供されている。
そんなインターネットも商用化が始まって20数年という割と短期間での成長してきたITの中で必要不可欠な基盤がどのように成長して今に至るのかを私なりに現場やプライベートで経験した中でのお話をします。


1993年に米国に赴任し、金融機関のIT基盤全般を構築・管理・運営するグループのリーダとして就任する。当時は、オフィスにLANはるものの、インターネット接続は無かった。確か、商用インターネットがリリースされる数年前だったと思う。
結果は、日本の本社へは専用線のネットワークを使うか公衆回線にモデムで接続するメールサービス程度だった。TelexやFAXも大活躍していた時代である。
PC通信に関しては、米国でメジャーだったのはAOL(American Online)やCompServでした。OSは、Windows 3.1がリリースされ、32bit時代の幕開けだった気がします。
90年代半ばにNETCOMが商用インターネットをスタートした。コンピュータストアーに行くとレジには、NETCOMのNET Cruiserというブラウザーが無料で配られていた。もちろん、NETCOMのサービス利用が前提だが、当時にインターネット利用料は、$20/月程度だったと思う。(時間やデータ制限なし)


当時のインターネットは、公的なものが大半で商用という意味ではAOLの方がはるかに充実していた。商用インターネットは、日本でもBekkouameなるプロバイダーが現れ、マニアの一部で利用が始まっていた。
インターネットがリアルタイムで日本と繋がった。インターネットの主流は、BBS(掲示板)とChatのコミュニティサイトが流行っており、NYに居た自分は、13~4時間の時差で日本の大学生などと会話をしていた。日本では、大学がコンピュータルームに端末があり、学生の一部はその端末を使ってインターネットをしていた。
当時の専用線接続をしているのは、教育機関や公的機関が情報の共有をベースに接続をしていた以外は、公衆回線での利用だった。恐らく、この頃からハッカーなるものの存在も表に出てきたいと思う。
日本では、ネットワンシステムズ電力系、教育系などにCISCOのルータを独占的に販売をしていた。(インターネットルータ=CISCOの時代かな!?)


自分が勤めた金融機関がインターネットの専用線接続をしたのは、90年後半でたしたか64Kbpsの接続だったと思う。
これは、日本の接続で米州からはその数年前から専用線接続の要望を上げていたが、待て!という一言で数年待たされた。そして、インターネット接続されたので、”米州にもアクセスルートを作ってくれ”という要望にも”待て!”の返答しか返ってこない。しびれを切らして、一年後に開放をしないなら米州の独自リスクで接続をすると言い、構築をした。
結果、インタネットとLANの接続は自分の勤めた会社では、以下の順番で始まった。
①欧州⇒②日本⇒③米州⇒④アジア・オセアニアという感じで④のアジアに関しては、自分が帰国してから自分でプロジェクトを立ち上げ行ったので、2006年前後になった。
こうして、日系の某金融機関のLANとインターネット接続が出来上がった。
当時の基本構成は、FWでDMZを作り、PROXYサーバを介してインターネットへ接続という構成である。
あとは、先に述べたように必要なセグメント(PCクライアント、メールサーバ)のみを接続してセキュリティを確保するスタイルである。
その後、IDSなるものが製品化され、導入をする。更に機能拡張としてIPSを組み込むなどを行った。
それ以外のセキュリティとしては、URLフィルタの導入なども時代と共に導入をしてきている。
また、これを自社コンピュータセンターに構築をするのでなく外部にアウトソースをして、インタネットに特化した24/365の運用と管理を行った。
汎用機の専門的なオペレータにLANやこうしたインターネットの運用を行うのは、ハードルが高すぎるからだ。