インフラの世界に浸って、

NECがPC9801が出てそれを某金融機関の若手ITスタッフとして全店展開からはじまり、LANや商用インターネットの原点からどっぷりとインフラに浸かって30年。その間1993年~2004年初頭までNYでPC、VAX、UNIXそしてLANやWANをローカルスタッフの親方として従事。そして今、現役としてモバイルやデータセキュリティのプロダクトセールスをする異端児オヤジのインフラ話

自己紹介

1982年に社会人となり、汎用機の運用からシステム生成やプロダクト導入を今でいうIT運用部門で経験。当時、最低でも5年は移動がないところを4年半という最短で卒業(追い出され)。しかも移動したタイミングは、コンピュータ系の専門職に職制制度が導入され、専門職になった直後に支店勤務を命ぜられる。ある意味、異端児の素質が目覚めたというべきか!?
そして、支店では2年で銀行業務を学び、ITでも運用部門でなく企画部門に配属となる。
当時、専門職で自分と同じ世代が企画部門には一人もいなかった。
そして配属になったのが、OA班(今でいうシステム基盤のPC担当チーム)。NECがPC9801シリーズを世に放って数年。そこでPCを中心とした企画業務の筆頭係員としてあらゆることをやる結果となる。なぜなら、当時の情シス子会社は、PCはシステムとして見ていなかったから。汎用機で基幹のオンラインシステムこそがシステムと崇拝していた。
そんな中、アナログ率200%のディーリングルームの大改装のプロジェクトが発足し、一人一台のPCの配置とLANの導入というのが自分のミッションとして与えられ、Windowsもない時代に市場部門に16BitのPCを100台単位で導入。更にそのPCで動くアプリ開発までも担当。当時の体制は、情シス子会社要員無し、自分と上司そして残りはベンダーで悪戦苦闘の日々を過ごす。
そして1993年秋にNYへ赴任し、全米のインフラを統括するチームのリーダとなり、言葉も含めて苦労の日々を過ごし、気が付けば金融統合もありで10年が経つ。
その間、LANだけでなく、データセンター構築、バックアップセンター構築、全米の拠点間のLAN接続、体制面では、Helpデスクの構築を行い、最後は金融統合で〆て2004年正月に帰国。
その後は、約10年、IPネットワークの企画と管理を担当しつつ海外ITとの連携や、BlackBerryなどの新技術の日本での導入を担当し、2014年冬に金融IT人生に終止符を打つ。今は、縁あってBlackberryの後継としてでたGoodのプロダクトエバンジェリストととなったが、気が付けばBlackberryのGood買収により、結果Backberryのセキュリティプロダクトエバンジェリストとなり、日々悪戦苦闘している。
インターネットや携帯、CISCOもない時代から現場でユーザとしてあらゆる視点で日々学んできた。この経歴は、人に言わせれば金融のIT部門の異端児という。
ブログは、昔話ありそして現在の先端の一つであるモバイル関連に関して、現場経験をベースに紹介して行ければと思う。